第53回 物流子会社の彷徨(3)

Pen Iconこの記事の執筆者

赤峰 誠司

船井総研ロジ株式会社 取締役 常務執行役員

「外販獲得」が親会社からの至上命題となった物流子会社は、まず外部の お客様へ訪問して仕事を獲得する部隊の編成が必要となりました。

これまでの営業部は、親会社とのパイプ役であり親会社の要求を完全に受け入れる窓口業務であったので、一般の顧客へ販売活動を行う部隊(=営業マンが)必要では無かったのです。

そこで、外販に対応するべき編成された組織は『営業開発課』などと名付けられ
従来の営業部とは、その性質が異なる真の営業部隊となりました。

しかし、営業ツールや営業ノウハウも無い状態からスタートした営業開発マンは困難を極め、なかなか思ったような(机上で立てた計画)成果は上がらずに苦慮します。

この苦戦期間が約3年〜5年程続き、ようやく営業開発部隊と営業ツール、受注ノウハウが構築されます。

プロパーの営業マンも育ち、親会社及びグループ会社の財務力・IT(情報システム)力を背景に、力強く成長したのが、1995年〜2000年にかけての約5年間でした。

この約5年間は、多くの物流子会社がコンペや大型案件を受注した期間でもあります。

営業ノウハウの未熟なところから、苦しみながらも至上命題であります「外販獲得」を伸ばしてきた多くの物流子会社は、売上を伸ばし従業員を増員していきながら外販シェア50%以上を目標に、努力を積み重ねてきたものです。

2000年から2005年は、更に物流子会社が成長し飛躍した期間でもあります。

しかし、この成長の影には大きな落とし穴がありました。

規模の拡大と同時に、利益率は鈍化し本来の物流子会社の使命が果たせてなかった事が判明してしまいました。

そして、2004年の後半より業界変貌となる事態へと発展して行きます。

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赤峰 誠司

船井総研ロジ株式会社 取締役 常務執行役員

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